第十九話 シロコロ初体験

「ちょっと歩きますけど…」と言って慎也は久美子と昌也の前を歩きはじめた。

昌也と久美子は後ろで何か話ながらついてきたが慎也はこの二人が話している事に興味はなかった。

なぜならこの後に起きてしまう可能性がある、よからぬことが頭の中をよぎっていたからである。

「このまま順子さんと連絡が取れなかったらどうなる。荷物俺んとこだし…まさかこのババァ俺ん家に泊まるなんてこと言いださねぇべな…」そんな事あるはずもないが慎也は本気でビビッていた。

「もし襲われたらどうしよう…」そんな事あるはずもないが慎也は本気でビビっていた。

慎也が先頭切って向かっている目的地は焼肉、ホルモンとサイドメニューも豊富な「ホルモン酔笑」だ。

慎也は一人でここにくるといつもホルモン焼きミックスを注文し、それをじっくりと焼きながら生ビール1杯とホッピーを3杯飲む事をルーチンとしていた。

「おい慎也、シロコロって美味いのかい?」と久美子が訊いてきた。

「まぁひとそれぞれ好みがあるんでなんとも言えませんね」

慎也の返事はそっけなかった。そしてこう続けた。

「ちなみにB-1グランプリで優勝したシロコロと同じ物は食べれませんよ」

「はぁ~?なんだいそれ?それじゃあ厚木に来た意味ないじゃないか?」

「同じものは食べれないんです。B-1で優勝したシロコロは茹でたやつにタレを絡めたやつなんで。厚木のホルモン屋さんで食べれるのは生なんです」

「へぇ…生で食うのかい?」

「そんなわけないでしょ!生を焼いて食うんです。まぁ久美子さんなら生で食っても大丈夫かもしれませんけど…」

と言った瞬間、慎也は殴られないように軽やかなステップで、久美子から遠ざかった。

すると昌也が「慎也さん、僕コンビニでウコン買ってくるんで先に言っててください!久美子さんもウコン飲みますか?」と訊いた。

「いいのかい?ほんじゃ私も飲んどくかね」

「じゃあちょっと買ってきます」

「慎也はいいのかよ?」と久美子が慎也に訊いた。

「俺はいりません、ビール飲む前になんも口にしたくないんで…」

慎也は1杯目のビールを大事にする男だった。1杯目のビールの「のど越し」を誰よりも大事にする男なのだ。なので1杯目のビールを飲む前になんらかの水分をとるなんて事は絶対にしなかった。

夜のビールのために午後3時以降は水分を取らない生活を何年もしていた。

体には悪いと思いつつも「タバコ吸うよりいいだろ!」と慎也は自分の都合の良いように自分自身を納得させる能力の持ち主だった。

「だいたいウコン飲んでまで酒飲むってなんだよ。次の日の為にウコン飲むくらいなら酒なんか飲むんじゃねぇよ」もちろん久美子には聞こえないようにつぶやいた。

慎也の後ろを歩いていた久美子は昌也がいなくなったので慎也の横にきて歩き出した。

おっさんとおばさんが黄色いジャージを着て仲良く並んで歩く姿はなかなか異様な光景だった。

「こっち側歩いてください」慎也は車道側を歩いていた久美子を歩道側に来るように指示した。

「なんだい、優しいとこもあるじゃないか、昌也君の真似かい?」

「いちおう女性ですからね…」

「んっ?」

「いやいや、これ俺が昌也に教えたんすよ」

「女、子供と道歩くときは車道側あるかせんじゃねぇぞって」

「へぇ、そうなのかい」

「当然ですよ」

「優しいじゃないか!ひょっとしてあたい気があるのかい?」

慎也は立ち止まりゆっくりと首をぐるっと回し、久美子を見つめた。

久美子は驚いた表情で体を少しのけぞらせた。二人は見つめ合い沈黙の時間がしばし流れた。

慎也は一歩前に出て久美子に近づいた。そして「そんなわけねぇだろ!」と目で訴えかけた。慎也の目は血走っていた。

「なんだい!図星かい?」久美子に慎也の気持ちは届いていなかった。慎也は踵を返し歩きはじめた。そして3歩目をくり出すと突然走り出した。

「あっ!おいっ!」

久美子が慎也に向かって叫んだ。久美子もあわてて走りだす。慎也は一つ先の曲がり角を猛スピードで右へ曲がった。

「おいこら慎也!」久美子も後に続き角を曲がると慎也が久美子の方を向いて立っていた。

「おわっ!びっくりさせんな!」

「ここです」慎也が「ホルモン酔笑」の暖簾をゆび指さした。

ホルモン酔笑は5m先の角を曲がったところだった。

「なんだい!驚かすんじゃないよ!あたいから逃げようとしたのかと思ったよ」慎也は「食前の運動ですよ」と言って微笑んだ。

「ホルモン酔笑」は開店したばかりだったのでお客さんはまだカウンターに一人しかいなかった。

そのお客さんが七輪で肉を焼いていた香りが慎也と久美子の食欲をそそった。

あとから昌也が来るので3人であることを店員に告げると、4人掛けのテーブル席に案内された。

「生ビール3つとガツください」慎也は椅子に座る前に店員に注文を告げた。

「おい!昌也くん待たないのかい?」

「すぐ来るんで大丈夫です」

「あっ…久美子さん生ビールでよかったっすか?」

「生ビールでいいよ」

「ここの生はサッポロなんすよ!」

「あたいはキリンが好きだけどね」

慎也は宮城の親戚のおじさんのことを思い出した。

「寿男さんもキリン派だったな」

慎也の親戚はキリン派が多かった。親戚の中で慎也が以前好んで飲んでいた「アサヒスーパードライ」は若者のビールとされていた。もちろん慎也の親戚筋だけの話である。

今現在、慎也はサッポロ黒ラベルが好きなのだが、キリンのビール工場見学に行けば「一番搾り」が好きになり、サントリーの工場見学に行けば「モルツ」が好きになったりと自分の意見を持たない人間だった。

今サッポロが好きな理由もネットの記事で「ビール好きの玄人はサッポロ黒ラベルを好んで飲んでいる!」という記事を読んでからであって、味云々は関係ない理由だった。

 生ビールが3杯運ばれてきた時、ちょうど昌也が店に入ってきた。昌也は店員が厨房に入って行ったのを見計らって久美子にウコンを渡した。

久美子と昌也はウコンを一気に飲み干した。

全員が生ビールのグラスを持ち昌也が「三人の出会いにかんぱ~い!」とわりと大き目の声で乾杯の音頭をとった。

慎也は久美子に聞こえないように小声でつぶやたいた。

「別に出会わなくてもよかったけどね…」

三人はグラスをぶつけあい、喉をならして生ビールを流し込んだ。

「うめぇ―――――!」

慎也は最初の1杯を誰よりも早く飲むことを目標としている。

「早っ!もうそんなに飲んだんですか?」と言われることにちょっとした「快感」を覚えていた。薬師丸ひろ子である。

それを見た久美子が「早ぇな…いい飲みっぷりじゃないか」と言った。

慎也は左頬を上にあげ「フッ」と笑った。イメージは「リングにかけろ」の剣崎順だ。または「ちびまる子ちゃん」に出てくる花輪クンのイメージだ。そんな事はどうでもいい。

「あたいも負けてられないね!」と久美子が言った。

「別に勝ち負けの為にビールを飲んでるわけじゃない」と慎也は思ったが口には出さなかった。

慎也は店員に生ビールとシロを2人前注文した。

「シロ?シロコロじゃないのかい?」と久美子が言った。

「まぁ最初はシロ食べてみてくださいよ!シロコロもありますけど俺はシロの方が好きなんです」

と言って二人に聞こえないように横を向いてゲップをした。

「へぇ…そうなのかい」

ジョッキが空になった久美子に「なに飲みます?水ですか?」と慎也がふざけて久美子に言った。

「面白い事いうね?水のわけないだろうが!もう一杯生ビールをいただくよ」

と言って久美子はジョッキを慎也に手渡した。

「なんだこりゃ!俺に頼めって事かよ!あんたは口が無いんですか?このアッチョンプリケが!」と思った慎也だがもちろん口には出さなかった。

慎也はシロを持ってきた店員に生ビールを追加注文した。

慎也はシロ二人前を七輪の網の上に重なり合って山になるように一気に乗せた。

すると久美子が「なんだいそれ?重なってるけどいいのかい? 」

「いいんです。これが俺のシロの焼き方なんです。シロは最初蒸してやるんですよ」

「へぇ…焦げないのかい?」

「まぁ見ててくださいよ!」

「シロは最初に蒸す!」この焼き方はホルモンに精通する先輩に教わった焼き方だった。

「最初に蒸した方がふっくらとした美味しいシロになるんだぞ!」と先輩に教わってからはずっとこの焼き方でシロ焼いている。

「へぇこれがコロっとしてくるのかい?」

「あんたはすでにコロコロしてますけどね」慎也は久美子に聞こえないように小さな声でつぶやいた。慎也の中でのギリギリのゲームだった。

「なんだって?よく聞こえなかったよ?」

慎也は「今は焼き方に徹してますんでしばらくお待ちを!」と言ってごまかした。

久美子は慎也が手際よく焼いている七輪の網の上にあるシロをじっと見てめている。

慎也はシロの上と下を入れ替え手際よくひっくり返した。

 昌也も生ビールを飲み干し、ハイボールを注文した。

「昌也君も良くくるのかい?」

「慎也さんと飲むときはほとんどホルモン屋ですね、その後はキャバクラです」

「キャバクラ?」

「熟女が多いです」

「熟女?」

「熟女パブです。けっこう人気ですよ。」

すると久美子が「あたいも熟女で働けるかね?」と言って右手を後頭部にあて、左手を腰にあててポーズをとった。昭和のポーズだった。慎也はそれを見て見ぬふりをした。

「おい慎也!なんも言わないのかい!」

と言った久美子のツッコミも慎也は聞こえないフリをした。

「はいOK!今が最高です!タレつけて食べてください!」と慎也が言った。

久美子は焼きあがったシロをタレにつけて口の中に放り込み、よくかみ砕いて飲み込んだ。

そしておもむろにジョッキを手に取り、ビールでシロを胃の中へと流し込んだ。

「美味い!なんとも言えない歯ごたえだねぇ、あぶらがまた美味しいよ」

「ですよね!慎也さんは肉の声が聞こえるんです」

「へぇ面白いこというねぇ」

「焼きすぎると肉の鳴き声が聞こえるそうです」

昌也もシロに手を伸ばした。

「もっと食べたいね」と言って久美子は慎也をみながらシロを箸でつかんだ。

「じゃあ今度はシロコロにしましょう」慎也は追加でシロコロを一人前を注文した。

「ここのシロコロは豚一頭から2人前程度しか取れない、特別に脂が詰まってる部分を出してくれんすよ!」

「へぇ、よく知ってるね」

「そこに書いてある説明書き読んだだけです」

「ズコッ!」と言って久美子が明日からのけぞり落ちた。これも昭和のこけかただった。

「なんだよ!知ったかぶりかい!」

慎也は初めて人が「ズコッ!」と言ってこけるのを目の当たりにした。

「あっそうだ!久美子さんそろそろ携帯に連絡きてんじゃないっすか?」と言って慎也は箸で久美子のバッグを指した。

「そうだね、見てみよっかね。」久美子は携帯電話を取り出そうとバックのチャックを開けた。

「あれっ…」

慎也は嫌な予感がした。久美子はガサガサとバックの中をいじくりまわしている。

「あらららら…」

「らが多いな…」慎也がつぶやいた。慎也の競馬の予想はたまにしか当たらないがこの予想は的中していた。

「慎也んとこに携帯電話忘れたかも…」

と言って久美子は肩をすくめてし舌を出した。

「こんのババァ…」

慎也は大きくひとつため息をついた。すると昌也が椅子から立ち上がり二人に向かって言った。

「僕が取ってきましょうか?」

慎也は追加のシロコロを焼きながら言った。

「まぁ食ってからでいいんじゃない」

「いいよいいよ!昌也君、厚木で呑んでることは息子に伝えてあるんで大丈夫よ」

慎也は一瞬だけ久美子を睨んで「ってお前が言うんじゃねぇよ!」思ったがもちろん口には出さなかった。睨んだのもほんの一瞬だった。それ以上は危険だった。

「シロコロOKです。とうぞ!」

久美子はシロコロをタレに付け、口の中に入れた。

「熱っ!」

慎也はじっと久美子を見つめ、反応を見ていた。

「これもうまいね!油がシロより多いんだね」

「ですね」と言った慎也だがシロコロはほとんど食べたことがないので適当に答えた。

「他にもなんか食いますよね?」慎也はメニューを見ながら久美子に訊いた。

「そうだね…あたいは分からないから慎也が適当に頼んでよ」

「わかりました」と言って慎也はホルモンミックスを2人前注文した。

「ホルモンミックス?」

「いろいろ食べれていいんです」

こんな事言ってる慎也だが、さんざん来店して、毎回ホルモンミックスを注文するくせに未だにどれがどの部位かわかっていなかった。

なので久美子に勧める時も

「これ柔らかいです」

「これコリコリしてます」

「これ歯応え抜群です」

などと言い、一切部位の名称は言えなかった。

3人は「酔笑」で1時間くらい過ごし、ほろ酔いになってきたところで慎也が店の外に行列が出来てきているのに気づき店を出ることにした。

「最後にラーメン食べましょう!」

「ここはラーメンも美味しいんです!」

「久美子さん1杯食えますか?」

「そんなに食えないよ」

「じゃあ、3人で一つにしましょう」

「俺らはちょっと食えればいいんで」

「最後に一杯なんか飲みますか?」

「それじゃハイボールで」

昌也もそれに続いた。「僕もハイボールお願いします」

慎也は店員を呼び「すみません、ラーメン一つとハイボール3つ」と注文した。

すると昌也が「昔ながらのラーメンが食べれますよ」久美子に行った。

「へぇそうなのかい」

「ちっ!」慎也はこの「昔ながらのラーメン」という表現を若い奴が使うのに敏感だった。

「たかだか三十すぎの奴が昔ながらのラーメンって簡単に言うんじゃねえよ」

「お前の昔ながらのラーメンってどんなラーメンだよ」

「どこで食ったラーメンの事言ってんだよ!」などなど言いたいことがいくつも浮かんでくる慎也だった。

今回も「どんなラーメンの事言ってんのよ?」と言いたかったがせっかく遠方から来て楽しそうに飲んでる久美子が一緒だったので何も言わなかった。

「ラーメンお待ちどうさまです」

久美子の前にラーメンが着丼した。

「お先にどうぞ!」昌也が両掌を上にして久美子にラーメンを勧めた。

「いいのかい!じゃあお先にいただかせてもらうよ」

久美子はレンゲでスープを一口飲んでから麺をすすった。

「うん、美味しいね。昔ながらのラーメンかどうかは別として美味しいよ」

「おぉ!久美子さん!」慎也は久美子の発言に賛同した。

「昔ながらと言っても人それぞれちがうだろうからね」

「おぉ!久美子さん!」慎也は再び久美子の発言に賛同した。

「昌也さぁ、ラーメン食ったら久美子さんが俺ん家に忘れた携帯電話、とってきてくんない?」

「いいですよ!」

「申し訳ないねぇ」

「近いから大丈夫ですよ」

昌也がラーメンを平らげ、皆がハイボールを飲み終えたことろで「すみません!お勘定お願いします」と慎也が店員に声をかけた。

「ここは俺と昌也で払いますよ」と言って慎也が財布から一万円札を取り出した。

「バカいいんだよ!あたいが食べたかったんだから、あたいが払うよ」と久美子が言うと昌也も「ここはいいです。僕らで払いますよ」と言った。

すると慎也は「じゃ昌也君よろしく!」と言って一万円札を財布にしまい店の外へと出て行ってしまった。

「おいおい、それじゃ昌也君がかわいそうだろ!」

「いいんです久美子さん。どうせ後でくれますから」

「そうなのかい?」

「大丈夫です」

「じゃあ、お言葉に甘えようかね」

先に店から出ていた慎也に久美子が言った。

「悪いね!ご馳走になっちゃって」

「一応厚木に来られたお客様ですからね、ここでお金払わせたりなんかしたら江戸っ子としての面目がたちませんよ」

「慎也は江戸っ子だったんだね?」

「いやっ!ずっと厚木です」

久美子は首を傾げて「なんじゃそりゃ!」と言って慎也を睨んだ。

慎也は久美子と目を合わせないように遠くを見ていた。店から出てきた昌也に慎也が言った。

「じゃあ昌也君、久美子さんの携帯よろしく!」

「ごめんね!昌也君」

「悪ぃな!てか俺たちは全然悪くねぇんだけどな」

「バシッ!」

「一言余計なんだよ!」

どうやら久美子の蹴りが慎也の右ケツをヒットしたようだった。聞こえないように言ったつもりだったが久美子には聞こえてしまっていた。

慎也は右ケツを押さえながら 「こ・これ持ってって、俺ら次んとこ行って待ってるから」と言ってキーリングからマンションの鍵をはずし、昌也に手渡した。

「了解です、次の店決まったらLINEお願いします」

と言って昌也は慎也と久美子と別れ、慎也の家へと向かった。

「昌也君悪いね!あとたっぷりお礼するから!」と久美子が言うと昌也は振り返り「大丈夫で~す!」と言って慎也のマンションへ向かって歩きだした。

第二十話に続く・・・・

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