第二十五話 玉子焼き

「そういえばなんでこのお店来たかったんでしたっけ?」

「友達が厚木に行くんなら秋間寿司行った方がいいって教えてくれたんだって言っただろうがよ!」

「そうでしたね…知り合いって厚木の人なんすか?」

久美子はサングラスをずらし、肉眼で慎也を睨んだ。

「まぁね。そんなことだね」

「ひっ!」慎也はなにやら久美子から殺気のようなものを感じた。

慎也はなぜ久美子が怒っているのか理由がわからなかったがもうこの件に関して質問することはやめようと思った。慎也は少し残ったビールを飲み干し、もう一杯生ビールを注文した。

「何かにぎりましょうか?」大将が久美子に訊いてきた。

「そうね。じゃあ玉子をお願いしようかね!」

「はい!玉子ですね!少々お待ちください!」

「へっ!玉子っすか?」慎也は久美子が玉子を注文した事に驚いた。

「なんだよ!だめなのかい?」

「ダメじゃありませんけどさっきマグロが好きって言ってたような…」

久美子はサングラスを外しバックにしまい慎也を睨んだ。「なんか文句あんのかい?」と言って慎凄んでみせた。慎也は首を後ろにそらしのけぞって左右に首を振った。

「はい!玉子!お待ちどうさまです!」

久美子の前の下駄に玉子焼きが置かれた。

「ありがとう。大将も一杯やってよ!」

「いいんですか?」

「いいよいいよ!はいはい!」久美子はビール瓶を持って大将にビールをすすめた。久美子はどこか楽し気な様子だった。

大将がグラスを差し出し、久美子がゆっくりとビールを注いだ。ビールを注ぐ久美子の手がわずかに震えていた。

「いただきます!」

大将はグラスに注がれたビールを二口、ゴクゴクと喉をならしながら流し込み「ふぅ…」と声を出した。慎也は久美子がビールを注ぐ時の震えていた手を見逃さなかった。

「大将がいい男だからって震えてやがんな!『緊張か!』」と言って額をはたこうかと思ったがもちろんそんなことはしなかった。そんなことをしたら自分の身にどんなことが起きるかは今日一日でだいぶ勉強していた。でも一応聞こえないように口パクで「キンチョウカ!」とやってみた。

それに気づいた久美子が「ん?何か言ったか?」と言ったが慎也は小さく左右に首を振った。慎也は思った。「危ねぇ!口パクでもあぶねえんだ!」

「美味しそうに飲むね!もっとどうぞ!」久美子は再び大将にビールをすすめた。

「すみません。ありがとうございます」

久美子は再び大将のグラスいっぱいにビールを注いだ。手の震えは止っていた。大将がビールを飲む姿を見ている久美子は笑顔だった。

慎也は思った。「やっぱこの店にきたのはイケメン大将目的だったんだな…」

久美子は下駄に置かれた玉子を一口で口の中に放り込み、目をつぶって玉子を噛みしめた。

「美味しいね…」と言って開いた目には少しの涙がうるんでいた。

涙をおしぼりで拭い自分の下駄の前にある玉子を慎也にも勧めた。

「ほれっ!慎也も一個食べな!」と言って玉子を素手でつかみ慎也の下駄のに置いた。

そのしぐさを見て慎也は久美子を流し目で睨むようにチラっと見た。

「なんだい?」

「いやっ、なんでもないです。いただきます」

慎也は「ガサツだな!普通素手で渡すか?」と思ったがここは素直にいただくことにした。

慎也もまた玉子を一口で口の中に放り込んだ。

「うめぇ!寿司屋で玉子食ったのすんげぇ久しぶりっす、たぶん10年以上は食ってなかったかもです」

「そうなのかい?」

「はい…今度から玉子もレパートリーに入れときます」

「慎也、好きなもん注文しな!」

「へっ?」

「ここはあたいの奢りだよ」

「えっ!マジで?」

「マジだよマジ」

「ではお言葉に甘えさせていただいて、こはだときんめをお願いします」と大将に告げた。

「こはだときんめ?」

「はい、食べた事ないんです。お勧めにあったので!」

「久美子さんはなんか食べないんですか?」

「あたいはもういいいよ、さっきのホルモンでお腹一杯だからお酒だけでいいわ」

「えっ?せっかくきたのにいいんですか?」

「いいんだよ…」と言って久美子は大将の仕事振りを見つめていた。

慎也は思った。

「恋だな…」

「はい!こはだときんめです」慎也の下駄に「こはだ」と「きんめ」が2個ずつおかれた。

「おぉ!初めて見るビジュアルっす!だいたい俺、魚とか貝の種類さっぱりわかんないんですよね」

慎也は若い頃、回転寿司で赤貝なるネタを知り、食べてみたいで一心で流れてるレーンを凝視していたがどれが赤貝かわからず、板前に「赤貝お願いしまーす!」と注文したら同じ口調で「目の前を流れてまーす!」と言われた事があった。

「ねぇ大将?あの女性は奥さんかい?」と久美子が大将に訊いた。

「はい」

「綺麗な奥さんじゃないか」

「ありがとうございます」

「お奥さんもお酒飲むのかい?」

「飲みますね、自分よりも強いんすよ」

「じゃあ奥さんにも一杯注がせてもらおうかな、瓶ビールもう一本ちょうだい」

「はいよ!便ビール一本お願いします。あとグラスも一つね」

「は~い!」

「奥さんの名前はなんていうんだい?」

「みよしです」

「みよしちゃんか」

「瓶ビールお待ちどう様です」みよしが瓶ビールをグラスを持ってきた。

「ありがとう。はい、グラス持って!」

「えっ!わたしですか?」みよしは大将の方をちらっと見た。

大将は小さくうなずいて、みよしもそれに応えた。

「奥さん飲むんだって?」

「そんな事ありませんよ」

「はい、どうぞ!」

「あきら君(大将)もどうぞ!3人で乾杯しよう!」

慎也は口の中に「こはだ」を入れたばかりでモグモグしながら思った。

「俺は関係ないのか~い!」

慎也を除く3人はグラスを重ね、ビールを流し込んだ。みんないい笑顔だった。

先客のカップルが寿司を食べ終えたようで店を出て行った。

その後、久美子、大将、みよしの3人は仲良く飲みながら談笑していた。

すると子供が一人店の奥から出てきた。

「どうした?」大将が子供に声をかけた。

大将が「息子です」と久美子に紹介した。

「あら!かわいい子だね、名前はなんていうんだい?」

子供は恥ずかしいのか大将の後ろに隠れて黙ったままだった。

「あきひさ」って言います。

「どんな字書くんだい?」

「明るいに久しいで明久です」

それを聞いた久美子がなぜか目を押さえて後ろを向いた。

「どうしたんですか?」と慎也が聞いた。

「花粉かね…なんか目が痒くてね…」

「大丈夫ですか?」大将も心配して気遣ってくれた。

「大丈夫大丈夫!いつもの事だから、それよか明久君にジュースでも飲ませてあげてよ」

「すみません!なんか気遣わせちゃって」

「いいんだよ!気なんか使ってないよ」

「すみません。ありがとうございます。ほら!明久!」

大将は明久の後頭部を軽く撫でた。明久は小さく縦に首を振った。

「いくつだい?」久美子が明久に訪ねた。

明久は小さい手でやっとのことで3本の指を立てた。

「3歳かい?」明久はまた小さく頷いた。

慎也は空気を読まず「すみません!えんがわと赤貝お願いします」と大将に注文した。

大将は「へい!少々おまちください」と言ってカウンターに戻って言った。

「はいお待ち!えんがわと赤貝です」

「おぉ!」慎也は下駄に置かれた寿司を見て声をだした。

「俺が食ってたえんがわと赤貝とは何か違うな…」

「おい慎也!そろそろ行くかい?」

「えっ!もうですか?」

「いいんだよ、順子も心配してるかもしれないからね」

「あっ…そうでしたね」

慎也は慌てて4貫の寿司を平らげた。そして残りのビールを飲み干した。

「ご馳走さまでした!」

「いいかい?」

「はい!大満足です!」

「それじゃあ行くかい、大将、お勘定お願い」

「へい、ありがとうございます」

「お客様おあいそです」

「こちらお持ち帰りのお寿司です」

「ありがとう!」

「あれっ!いつの間に頼んだんですか?」

「順子にね」

二人は立ち上がり店から出ようとすると常連客の「いずみ」が店に入ってきた。

「あっ!お二方、さっきボウリング してましたよね?」

「はぁ」

「わたし、途中からずっと見てたんですよ!」

「もうちょいでパーフェクトでしたね!」どうやらギャラリーの中と一人だったようだ。

「わたしダーツの練習に行ったんですけどなんかボウリング の方が騒いでたんで途中からずっと見てたんです」

「この方は昔、宮城県代表の国体選手だったんすよ」と伸也が言った。

「コラコラっ!余計な事言うんじゃないよ」

「そうなんですね、どおりで…」

「お兄さんもやってたんですか?」

「まぁやってましたが僕は一般人です。今日が人生最高スコアでしたけどね…」

「もう帰っちゃうんですか?」

「はい」

「そうですか!今度また凄いの見せてくださいね!」と言っていずみは慎也にウインクをした。慎也はしばらくいずみをぼーっと見ていた。

「また一人俺に恋しちまったようだな…」慎也は酒を飲むと自信家になる男だった。

「おらいくぞ!」久美子が慎也をせかした!

「あぁはい…」

店の外に出ると大将と奥さんが見送りに出てきてくれた。

久美子が大将に「こっちに孫がいるからまた寄らせてもらうね」と言った。

「はい!ありがとうございます。またのおこしをお待ちしてます」

「記念に大将と一緒に写真撮らせてもらってもいいかな?」と久美子が言った。

「はい、もちろんです」

「お店バックにして撮ろう!ほれっ!慎也も入れよ!」

「りょーかいです」

「わたしが撮りますよ!」とみよしが言ってくれた。

久美子はバックからデジカメを取り出しみよしに渡した。

「はい行きますよー!笑顔でお願いしまーす!

「お寿司ー!って言ってください!口角が上がって自然と笑顔になりますんで」

「はい!お寿司ー!オッケーでーす!」

「もう一枚行きますよー!」

「はい!お寿司ー!オッケー!ばっちりです!」

「みよしちゃんも一緒に1枚撮ろう」久美子が慎也に顎で合図した。

「あっはいはい」

慎也はみよしからデジカメを預かりカメラをかまえた。

写真を撮るときのみよしの一言「お寿司ー」が目新しかったので慎也もとっさに掛け声を考えた。

慎也は最後が「イー」になれば口角があがり、笑顔になる事を知っていた。

昔なんかの本でスチュワーデスの笑顔は「ウイスキー」の「キー」で訓練していると読んだ記憶があった。慎也がチョイスした言葉は「パンティー」だった。

「では撮りまーす!せーのでパンティー!でお願いします」

「せーの!パンティー!」言ったのは慎也だけだった。

「おい!言わんのかい!」3人ともパンティーとは言わなかったがなかなかいい笑顔の写真が撮れた。

写真を撮った後、「パンティーは、ないよね!」と言った久美子の言葉に3人は顔を見合わせて笑っていた。

「大将ありがとう!」と言って久美子が右手差し出した。

大将も「はい、またのおこしをお待ちしてます!」と言って両手で久美子の手を握った。

慎也も久美子の後ろで両手をジーパンのポケットに突っ込みながら「またきま~す!」と言って会釈をしていた。

久美子は「ありがとうね、早くお店に戻ってあげて」と言って大将の目を見ながら手を離した。

「はい。では失礼します」と言って大将とみよしは店に入っていった。

久美子は大将とみよしが店に入るまでを手を振りながらみていた。

大将が店に入り扉が閉まると久美子はバックから携帯電話を取り出し、昭夫からのメールを確認した。

「あっ!息子からメールきてる」

「あぉ!よかった!」

「順子の住所わかったよ」

「あれっ!てかなんで携帯電話もってんすか?」

「あれっ!ほんとだね」

「いやいや…」

「「あっ!」」

二人は同時に声をだした。二人は昌也の存在をすっかり忘れていた。

第二十六話へと続く・・・・

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